カイロにある、オベリスク(方尖塔)を写したエジプト製の絵葉書。
2000年頃にアベノスタンプ社で300円で購入。
これはエジプト第12王朝のファラオ、センウセレト1世のオベリスクの様だ。
紀元前1941年頃に建造され、4000年近い月日が経った今も、当時を思わせる形で現存している。
見出し文の「d’Heliopolis」はカイロ近郊にあった、古代都市ヘリオポリスを指している。
中王朝時代 第12王朝
センウセレト1世
歴代王の中ではじめて、砂漠地帯のオアシスまで統治を広げた。
また治世3年目に、かつて太陽神信仰中心地だったヘリオポリスにアトゥム・ラー神殿を再建し、儀式を主催。治世30年目には、赤色花崗岩の巨大オベリスク一対を建立した。
出典:無限∞空間
ヘリオポリスはエジプト古王国時代から栄えていた都市で、太陽信仰の中心地でした。ヘロドトスもヘリオポリスを訪れて古代エジプトの知識を深めました。ヘリオポリスには、かつては多くの太陽神殿があり、数多くのオベリスクが建てられていました。
出典:世界のオベリスク
センウセレト1世のオベリスク
立っている古代エジプトのオベリスクとしては最古の、中王国時代第12王朝のセンウセレト1世(在位 紀元前1971~1926)のオベリスクで、高さは20.7mです。
(中略)
碑文にはセンウセレト1世のホルス名、即位名、誕生名が彫られています。おそらく後代のエジプトのオベリスクの書式法の規範になっていたのではないかと思います。ただ、新王国時代のオベリスクの最上部のホルスは上下エジプトの統一王朝を象徴する二重冠(プスケント)を通常被っていますが、このオベリスクのホルスは無冠です。
出典:世界のオベリスク
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Le Caire – L’Obelische d’Heliopolis.
Vintage picture postcard of Obelisk in Heliopolis.
Maybe, this is “Senusret I”‘s obelisk.
This was made in B.C. 1941.
Senusret I, also anglicized as Sesostris I and Senwosret I, was the second pharaoh of the Twelfth Dynasty of Egypt. He ruled from 1971 BC to 1926 BC, and was one of the most powerful kings of this Dynasty.
Source:Wikipedia
Obelisks were prominent in the architecture of the ancient Egyptians, who placed them in pairs at the entrance of temples. The word “obelisk” as used in English today is of Greek rather than Egyptian origin because Herodotus, the Greek traveller, was one of the first classical writers to describe the objects.
…
The obelisk symbolized the sun god Ra, and during the brief religious reformation of Akhenaten was said to be a petrified ray of the Aten, the sundisk. It was also thought that the god existed within the structure.
Source:Wikipedia
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